人を褒める苦労 praise―第23回  物流不動産Bizの人材開発
叱って育てるより、褒めて伸ばそうというのが現代の風潮だが、案外むずかしい面がある。褒め言葉がその実を伴わなければ、褒められた側は疑い、その裏を量ることになる。
稀代の英雄や天才にも親や上司がいたはずで、ジョブズもシェイクスピア、ダビンチ、アインシュタイン、リンカーンも皆と同類となるように叱られて育ったのではなく、その素質を褒められて伸ばし成人したはずだ。
ほめるとは技術やルールではなく、褒める側褒められる側双方の衝突だと思わねばならない。
人はだれでも教育と政治に一家言がある。誰もが語れる永久のテーマであるからだ。今の生活と自分は未来を見れないかも知れない恐れから、人に託すことを教育と見ている。
ビジネスも家庭も教育機関もそれは同じであり、現在への不安が未来を託す子供や部下への育成に関心を持つことになる。
「ほめ言葉のシャワー」を表した菊池省三先生は小学校の乱れといじめ問題にその原因を発見した。NHKプロフェッショナルでも取り上げられた先生のコミュニケーション授業は、荒れた教室を変貌させたという。教育関係者の研修会でも話題となり、今なお先生の公開授業は全国で多くの見学者で溢れているという。
その授業の真髄は、一人ひとりに友達を褒める義務と褒められて感謝する姿勢を毎日繰り返すことにある。
褒めるためには観察しなくてはならない。一人の人を詳しく見て、その行動や発言の背景を慮り、人より優れた点を発見することだ。2つの目で見て2つの耳で聞き、短い言葉で表現することを学ぶ。褒め言葉は価値語と呼んで、皆で共有するのだという。仲間から見られることで、ズルは恥じ、悪は表出する。努力は認められ、態度や姿勢、言葉遣い、心持ちまで見られることになる。
褒めるための観察、失敗してもリカバリーが見事なら結構なのだ。出来たことを褒めることもあるし、出来なくても努力している姿ややり直しの真剣さも褒められる。
褒めるとはおべんちゃらやフレーズではない、互いの存在を認めあうところに魔力がある。
ビジネスは存続と再現性を重んじるばかりに、多くのルールと熟練性を求めすぎている。革新や創造性、多様性を受け入れることが苦手な空間になってしまった。ルール通りの優等生が褒められ、マンネリとなり官僚主義の原因となるから、企業には寿命があるのだ。失敗や間違いからしか創造性は生まれない。
新たな光明を探し出すためにも、ルール至上主義から脱却することが必要なのだ。そう感じている、もしかすると現状否定している姿を見つけ、褒めて伸ばさなければ未来はやってこない。
良い子や優等生だけが褒められる対象ではなく、結果よりもプロセスや脇道での研究が実を結ぶかもしれない視野の広さを褒めるべきなのだ。
褒めることが人たらしと呼ばれるなら、甘んじて受け入れるべきだ。人を動かし、人をして成果を積み上げるためには、賛同者を多く束ねる必要がある。
褒めることが近道だが、そこには深い観察と遠い配慮がなくてはできない。価値語の褒め言葉を思いつくことが出来るだろうか。
イーソーコ総合研究所 主席コンサルタント 花房 陵