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テナントが育つビル 

ビルオーナーの某氏には、ちょっとした誇りがある。今や日本を代表する規模と知名度に成長した某社が、今から半世紀も前の創業期を、氏が所有するビルで過ごしたのである。

氏のビルは築約50年。東京の東側の運河沿いに、今も顕在だ。低層の中小ビルが並ぶエリアに立つごく平均的なビルだが、築年数を感じさせないほど手入れは行き届いている。見た目は、古いという段階を超越して久しい。半世紀前の最先端であったタイル張りの外観は、数周まわって「お洒落」と「シブさ」を行ったり来たりしている。

近隣には、規模も築年数も似たり寄ったりのビルが群れている。半世紀前、なぜ某社がこのビルを選んだのか。はじめのうち、筆者には得心がいかなかった。

筆者が初めて氏のビルを訪れたころ、都内の賃貸オフィスは7%前後の空室率だっただろうか。しかも氏のビルが立つエリアは特に動きが鈍く、空室率は10%を優に超えていたと記憶する。このエリアに、「テナント募集中」の看板を掲げていないビルは無い。そう断言しても異議は唱えられなかっただろう。ところがこのオフォス不況の真っただ中にあって、氏のビルは満室だった。筆者は驚愕した。なんだこのビルは。ほかのビルと何が違うのだ。

入ってまず気が付いたのが、入居テナントの多さだ。ずらりと並んだ郵便受けの壮観さは、ビルの規模とは不釣り合いに見えた。

テナントの多さの理由は簡単で、氏のビルはフロアを小割化して数坪のスモールオフィスにしていたのである。小割化は、リーシングの煩雑さや管理の手間が増え、さらにレンタブル比が下がるというデメリットがある。ところがスモールオフィスは絶対数が少なく、坪単価を一般的なオフィスよりも高めに設定することができる。しかも1室の規模が小さいため、テナントの入れ替わりによる稼働率低下への影響は一般的なオフィスよりも少ない。レンタブル比が低くても、稼働率のアベレージは高く保てるのである。

小割化だけではない。氏のビルでは満室のさなかにあって、建物のリニューアルを敢行中であった。水回りと照明を入れ替え、エントランスを刷新。共用部廊下の床と壁もすべて新しくした。さらにビルの禁煙化がはじまりつつあった当時、貸室をつぶして灰皿を設置したリフレッシュルームをつくったのである。それもテナントだけではなく、近隣の人も出入りできるようなつくりで。

満室の種明かしは単純であった。

「テナントの要望を取り入れて、ちょっとサービスを加えて実現するんです」

氏は、こともなげにそう語った。スモールオフィスを探していると聞けば、1棟まるまるスモールオフィスに改装する。喫煙ルームが欲しいと聞けば、自販機やベンチも置いたリフレッシュルームをつくる。床がちょっと汚れてきたなと思ったら、壁もいっしょに新調する。ひとつひとつの要望は小さくても、集まればビルを埋めるくらいにはなる。価値観が同じテナントが集まれば、自然とコミュニティができる。そうして、テナント同士がお互いを高め合うというのである。

氏には、もうひとつ誇りにしていることがある。

「スモールオフィスだから、移転は多いんです。でも今のところ、業容拡大にともなう増床移転ばかりです。このビルのテナントが廃業した記憶はありせん」

「なんといっても、今や世界的な某社がでたビルですからね」

筆者が言うと、氏はうれしそうにうなずいた。

 

久保純一 2019.7.20