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【物流連前理事・事務局長/宿谷】弱みを強みに〜沖縄のある街に学ぶ~ 

1月、久しぶりに沖縄本島に行き、中部・北谷町(ちゃたんちょう)の「美浜アメリカンビレッジ」を初めて訪れた。

那覇空港から車で40分弱、その一角にアメリカ西海岸を思わせる「デポアイランド」という敷地面積1万坪程の商業施設がある。
海の程近くに衣類や雑貨等の小さな商店がひしめき、装飾はクリスマスとハロウィンが一度に来たようだ。
海岸にはオープンエアのレストラン、英語で会話する肌の色も様々な人たち、沖縄でもちょっとない独特な空気が流れる。

背の高いソフトクリームを売るご主人に伺ったところ、この地区は元々米軍服を扱う古着屋1軒から発展したのだと言う。
この店が評判で段階的に大きくなり、やがてテナントとして地元の個人商店を誘致、20年位かけて異国情緒漂う商業施設に育てられた。

この地は米軍の飛行場跡地で1980年代に日本に返還された。
小さな町ながら当時近隣には米軍関係者・家族が1万人近く生活しており(住民票登録は一部のみ)、外国人比率が極めて高い生活エリアだったという。
基地に囲まれた街など、地元でも観光客でも敬遠しがちだが、ここはそれを逆手に取り外国人が多く集まる「日本にはちょっとない街」を作り上げた。

基地というマイナスイメージを「世界から人が集う街」という独自ブランドにしたことは、「弱みを強みに変えた」と言えようか。
でも、自然と発展したわけではないことは、古着屋1軒から街を大きく発展させた創意工夫、言わば民の力がある。

まず商店街を作る際には海岸沿いの土地を広範囲に2.8メートル盛り土をして「海を見下ろせる街」にし、海沿いに遊歩道を作って手すりには植栽を施し、波打ち際のテトラポットや護岸の落書きを隠す工夫もして、商店街のどこからも青い海だけが見える街、にしたという。
街に幾つものフォトスポットを作り、「映え」る街は誕生した。

もう一つは官の力だ。
出店は主に個人企業で、早くに廃業する店も多かった。
そこで中小企業庁が経営改善普及事業で指導職員を設置したり、地域総合振興事業として一部国の予算を入れて、シャトルバスの運行や花火やイルミネーション、文化交流や文化発信のイベントなどの企画・実行のサポートを施した。

それでもコロナ禍では、年間400万人の観光客が訪れ、うち150万人が訪日外国人というデポアイランドも多大な影響を受けた。
訪日客の多くが中国、韓国、台湾からで、先のご主人曰く、近くに3軒あったドラッグストアが皆撤退した、インバウンドの回復を願うばかり、と言う。

この街の成功は私たちのビジネスにも相通じるところがある。
事業が置かれた環境を直視し、不利と思われる点を逆手に取り、むしろビジネスの材料とする。
そして発展の加速には民の知見だけでなく官のサポートの双方を生かす。

今年1月、賀詞交換会で政府関係者が「ピンチをチャンスに変える」という言葉を来賓挨拶で使っていたのを何度も聞いた。
今の世界と日本はそのような局面かも知れない。
幾つもの困難が押し寄せる昨今、もう一度自身の置かれた環境を捉え直してみたい。

(宿谷肇、イーソーコドットコム顧問、日本物流団体連合会前理事・事務局長)